神の息子

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©Dana Friedlander

 ぼくの父は神と呼ばれている。身分証に、そう記載されている。姓名、両親の名前、誕生日の記載はなし。ただ、神とだけ。みんな、父をよく知っているので、それだけで十分なのだ。父はもう年老いている。あまりしゃべらないし、歩みもゆっくりだし、ひとつ奇跡を起こすと一週間は使いものにならなくなる。もう何年も、新しいものを何も創りだしてない。
 かつて、ぼくがずっと小さかったころ、父には成すべきことがたくさんあった。しょっちゅう人がやってきては、父がしたことに感謝したり、生贄を捧げたり、あれこれ頼んだりした。夜遅くまで父はずっと忙しくて、父の小さな書斎の灯りはいつも、ぼくがベッドにいくころもまだついていた。その当時、父は休む間もなく、あっちこっちと駆けずりまわり、それでいて、いつも楽しげで、空のカミナリのように笑っていた。母は、あなたをとめるなんて無理だけど、いつかは病気になりますよ、といっていたが、父は気にもとめてなかった。ぼくのためにはあまり時間を割いてくれなかったが、そんなの我慢できた。だって、父にはしなくちゃならない大事なことがいっぱいあったし、世界全体の面倒をみなくてはいけなかったのだから、ぼくは腹を立てなかった。父をながめては、ほとばしるような温かさと誇りで胸が痛くなったものだ。気になることといえば、みんなの神であっても、ぼくの父、ぼくだけの父さんだ、ということだった。
 ぼくが学校にいくと、子どもたちはぼくを崇めたてまつり、ぼくの友だちになろうとして、何でもした。「ほら、神さまの息子だ」というささやきが、ぼくが通りすぎるたびにあたりでかわされ、すぐさま、誰かれが菓子の箱を抱えて駆けよってきたり、ぼくより大きい子たちは、いっしょにサッカーしよう、と誘ってくれたりした。ぼくは、さほど上手でもなかったのに。
 父が散歩や何かの問題の世話やらで家の外にでると、人々はあわてて走りよって、握手したり、父が成し遂げたことにおめでとうをいったり、ついでにちょっとばかし助けてもらえませんかね、なんて頼んできたりしたものだ。みんな、父を愛し、みんな、父の友だちだった。一日おきにぼくたちは晩餐会やパーティに出かけ、手紙やプレゼントの洪水でわが家の郵便受けはあふれた。

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