イスラエルジャズとの冒険

1990年代から徐々に注目を浴び、この20年ぐらいの間に、世界のジャズシーンの最前線に躍り出てきたイスラエルジャズ。イスラエルジャズが世界に浸透するこの20年は、まさに私がジャズと格闘してきた20年でもあります。私にとってイスラエルジャズは、ジャズという荒野を一緒に旅してきた仲間のような存在なのです。

―八島敦子(エイトアイランズ株式会社代表取締役・プロデューサー)

「イスラエルのジャズがなんだかすごいことになってるらしい。」私が初めて耳にしたのはは2000年代の半ば頃。ジャズフェスティバル「東京JAZZ」を立ち上げてから何年か経ち、企画とブッキングで頭を抱える日々のなか、私が何よりも頼りにしていたのは同業者である海外の音楽フェスのプロデューサーの仲間たち。彼らがこぞってイスラエルジャズの話をしていたのです。
学生時代からジャズファンだった私も、チック・コリアが見出したアヴィシャイ・コーエンのことは聞いていたけれど、イスラエルジャズについての知識はそれくらい。まったく未知の世界でした。しかしながら「国境を越えて、世代を超えて」をテーマに掲げるジャズフェスとして、アメリカやヨーロッパだけにとどまらない世界の多様なジャズを紹介したいと常に願っていたこともあり、仲間がオススメしてくれたイスラエルジャズのCDをかたっぱしから聴き始めました。多くの仲間が熱く語っていたのがバルカン・ビート・ボックス。え?なに?エレクトロ?ジャズ?民族音楽?今まで見たこともない聴いたこともない音楽の地平線が見えてきました。ここからイスラエルジャズとの冒険が始まりました。
もっとイスラエルのジャズを知りたいと思っていた私を、数年後、イスラエル大使館がイスラエルでおこなわれた “International Exposure for Jazz and World Music”というイベントに派遣してくださったのです。
世界約30ヶ国からフェスのプロデューサー達や音楽関係者が集合し、テルアビブとエルサレムの2つの会場でイスラエルジャズとワールドミュージック漬けの4日間を過ごしました。オープニングからガツンと衝撃を受けたのが、サックス奏者エリ・デジブリのパフォーマンス。ハービー・ハンコックと共演しているイスラエル出身のすごいサックスプレイヤーがいるらしい、という噂は聞いていたものの、このとき初めてライブを体験したのです。美しい響きと胸に迫ってくる奥深いサウンドに心を揺り動かされました。バンド全体としてのレベルも高く一体感がすごい。バンドメンバーに目を向けると、ん?中学生?高校生?このときピアニストを務めていたのが、当時15歳のガディ・レハヴィ(1996年生まれ)。そして当時17歳のオフリ・ネヒミア(1997年生まれ)。まだあどけなさが残るふたりの少年が、確かなテクニックと美しいプレイでエリ・デジブリ(1978年生まれ)をがっつりサポートしているのです。
 他にも才能豊かなジャズとワールドミュージックのアーティスト達にすっかり心を奪われてしまいました。ハードコア・クレズマーやノイズたっぷりのアヴァンギャルドジャズ、そして中東のあらゆる旋律を詰め込んだような民族音楽。もうジャンルなんてものはすっかり飛び越した、イスラエルの音楽シーンに度肝をぬかれました。自分にとってまったく新しく感じる一方、ずっと心のどこかで求めていたような音楽世界があったのです。
早速、翌年の東京JAZZに、念願のイスラエルのアーティスト、バルカン・ビート・ボックスを招聘しました。せっかくなので、日本のアーティストとコラボしてほしいと考え「SOIL&"PIMP"SESSIONS」にお声がけしたところ、快諾いただき、共演が実現。もちろん初めての共演で、企画した私自身もドキドキでしたが、演奏終了後、「凄く楽しかった。共演の機会をくれてありがとう!」と両方のアーティストに言われてホッとしました。本番のステージでは、突然ダンサーが登場し踊りまくっていましたが、実は私も一切知らされておらず、メンバーが誘っていたようです。びっくりしましたが、これこそジャズ。とても盛り上がりました。

イスラエルから広がる新たなジャズの地平線

バルカン・ビート・ボックスを皮切りに東京JAZZにたくさんのイスラエルジャズアーティストがやってきてくれました。テルアビブで出会いその音楽に感銘したエリ・デジブリ2015年に来日してくれました。20歳になったガディ・レハヴィ、そしてオフリ・ネヒミヤも一緒に。さらに、エリと同年生まれの幼なじみでもある素晴らしいトランペットプレイヤー、アヴィシャイ・コーエンをフィーチャーし、イスラエルと交流のある山中千尋さんにもスペシャルゲストとして参加してもらいました。イスラエルジャズを牽引する人気アーティストのエリとアヴィシャイに共演してもらえることになり初めて知ったのですが、幼なじみのふたりは一緒に音楽を学んできたそうで、小さい頃はどちらかのお母さんのスクーターのお尻に乗っけてもらって音楽学校に通っていたそう。でも大人になってからはほとんど一緒に演奏する機会はなかったそうで、ふたりにとっても夢の共演が東京で実現したのです。イスラエルのジャズを初めて聞くというお客さんも多かったのですが、叙情的な美しい演奏は大好評でした。アヴィシャイとは東北ツアーにも一緒に出掛け、道中、彼のアーティストとしての夢、そして祖国への思いを語ってくれました。どんなに回り道しても、道のりが遠くても、あきらめずに夢を実現したいという強い気持ちにとても感動しました。そのとき語っていた夢のひとつが、後に実現したダブルドラムスのBig Vicious Projectのアルバムリリースでした。エリもその後もニューヨークを拠点に様々なプロジェクトを実現し、ジャズの最前線を走り続けています。ふたりとも世界を股にかけつつも、自身のルーツやレガシーをとても大切にしていて、後輩の育成に力を入れ続けています。
私自身もまだまだイスラエルジャズとの冒険を続けています。様々なビートやリズム、今の音楽シーンのエレメンツをたっぷりと取り入れて、新しいサウンドをつくっているニタイ・ハーシュコヴィッツやバタリング・トリオ、そしてギラッド・アブロ等の心地よい音楽にも注目しています。さらに1990年代生まれの世代が、アヴィシャイ・コーエンをはじめとする大先輩達がつくってきたレガシーを受け継ぎつつも、今を生きるフレッシュな感覚でオリジナルな音楽をつくりはじめており、ますますシーンが熱くなっているのを感じています。
最近私が翻訳をしたチック・コリアの著書のなかに「私(チック・コリア)が学び、インスピレーションを受けたピアニストたち」というコーナーがあります。なんとそこにはベートーヴェンやマルタ・アルゲリッチと並んでガディ・レハヴィの名前がありました。残念ながらチックさんとガディの話をする機会はなかったのですが、想像力と創造力を何よりも大切にしていたチックさんをガディがインスパイアしたのは不思議ではありません。

様々な文化が幾十にも重なり輻輳するクロスロードで育ったイスラエルのアーティスト達は、もはや国境や文化やジャンルなんて既に超えたスピリッツを持っています。グローバルとかダイバーシティとかボーダーレスとか、わざわざ言葉に出さなくても、体にもマインドにも染みこんでいるのです。卓越したスキルと先取的かつクリエイティブな表現力を磨き、自由な発想と創造力をフルに回転させ、新しいサウンドを編み出し続けているのです。
この後も、イスラエルジャズの地平線をずっと追いかけていきたいと思います。そこにはジャズの未来があると感じています。

年配の男性人の肖像画

八島敦子(Atsuko Yashima)

エイトアイランズ株式会社代表取締役・プロデューサー。
父親の仕事の関係で8歳から11歳までアメリカ・シアトルで育つ。日本と海外の架け橋となるような仕事に就きたいと考え、早稲田大学政治経済学部で国際政治を学ぶかたわら同時通訳の勉強をする。大学卒業後、NTTでの仕事を通じ、都市計画に興味を持ち、慶應義塾大学大学院で建築・都市デザインを学ぶ。NHKエンタープライズ入社後は、国際ロボットコンテスト、フランスのクリスマス・マーケットの招聘、東日本大震災被災地支援プロジェクトMusic for Tomorrowなど国際交流事業やテレビ番組等を企画制作する。なかでも、立ち上げから15年以上にわたりプロデューサーを務めた「東京JAZZ」では、「国境を越えて、世代を超えて」をテーマに企画の立案や出演交渉をおこなった。2021年、エイトアイランズ株式会社を設立。長年の夢である「音楽と文化を通じて日本と世界を結ぶ」ことを目指し、コンサートやイベント、コンテンツのプロデュースに励んでいる。訳書に「チック・コリアのA Work In Progress(ワーク・イン・プログレス)~音楽家として成長し続けるために~」(ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス2021年8月31日刊行) www.eight-islands.com