日記の一葉

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©courtesy of Amierl Family (Częstochowa)

 1942年、秋の終わり。まだ、寒さはさほどきつくなく、赤や黄色の木の葉が泥土にまみれて舞っていた。ときおり、よごれた緑のイガにくるまれた、暗褐色に輝く栗の実が見つかった。
 街路にひと気はなかった。恐怖に麻痺している。壊れたガラス窓が眼窩のように、わたしたわたしたちをにらんでいる。「道の向こう端のユダヤ病院まで行かなくちゃならん」と、父さんが急かした。声が妙なふるえを帯びている。わたしは、母さんが手編みしてくれた緑色のジャケット、スカーフとベレー帽、それに薄手のコートを着込んだ。父さんがまた母さんの編みもの好きをだしにふざけたが、もうだれも、父さんのジョークにのらなかった。世界は炎をあげていて、わたしたちは炎の渦中にあった。
 母さんが乾いたパンをひと切れ寄こし、わたしの顔をキスで濡らした。パンを囓ったが、なぜそんなに母さんが泣きじゃくるのかわからなかった。だって、夜になればまた会えるじゃないの。そう、両親は約束してくれていたのだ。だが、あのときから、母さんに会っていない。母さんの顔は、戦後、アメリカに住む母さんの姉妹から送ってもらった、黄ばんで傷んだ写真でしか思いだせない。

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