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不思議な子ども(神童) 中

3

🄫Yuki Hashimoto

 12時半きっかり、母親たちは気をつけの姿勢になって上のほうを見つめた。12時半と1分、宇宙船が託児所の真ん中に降りたち、子どもたちがうれしそうに宇宙船から出ると、まっすぐ母親のほうに駆けていった。それぞれ、自分の母親のところへ。家内も、3人の子どもを抱きしめた」
 タクシーの運転手は黙り込んだ。
 「なあ」ココアの膜を吹きながら、僕はためらいがちにいった。「奥さんは、精神分析を受けたことがあるかい?」
 「家内が? まさか。とんでもない。あいつはまともだ」運転手はぷっと吹き出し、鷹揚に頭をふって気持ちを鎮めた。
 「どうも、頭が混乱してるようだ」僕は骨抜きの声でいった。「頭のなかがごちゃごちゃなんだ。実をいうと……頭部の手術をしたんだが、こんなになってしまった」
 「こんなになったって?」運転手がいった。「すごくかわいい顔じゃないか。人形みたいだよ。何の文句があるってんだよ。あんたの顔と自分の顔をすげ替えたいと思ってる奴なら何百人でもいるよ」何人か思い浮かんだらしく、運転手はニヤッとした。
 「ねえ」僕は弱気になっていった。「僕が誰か、いや、何者だったかというほうが適切だろうね。知っていたら、笑ったりなんかしないはずだ」
 「何者だった?」運転手は笑いを引っ込めて、礼儀正しく訊いた。
 「ヨアヒム・ゴレン」僕は自慢げにいった。喫茶店の客の何人かが、こっちを見た。
 「ヨアヒム・ゴレンって、誰だ?」視線がいくつも僕に向いているのに気がついて、運転手が訊いた。
 「トップ・ジャーナリスト」子どもっぽい顔と低い背丈に背負わせるにはきつい肩書きで、僕はいささか恥ずかしかった。
 「信じてくれなくたってかまわない。『マコール・リション(初源)』の報道キャップだった。もっとも信用のおけるジャーナリストで、僕のルポは正確だった。まだ消費問題の駆け出し記者だった頃でさえ、何十回も調べて原稿を書くと評判をとった。通信社とも飛び切りのつながりがあった。僕自身が、動く通信社だった。ニュース欄のキングだった。街を歩けば、僕が書いた論説やコラムを引き合いにして議論したり話したりしている声が耳にとびこんできたものだ。僕の言葉はたちまち流行になった。それが、こんなにされちまった。まるっきり、子どもに……何てことだ」素直に涙がこみあげて、僕はココアをごくっと飲んだ。
 「おい、ゴレン」タクシーの運転手は僕を慰めたかったのだろうが、なんといっていいかわからなかったらしく、とうとう「ココアをもう1杯どうだ?」と訊いた。
 僕はうなずいた。運転手がココアを注文してくれた。ココアの上にゆっくりと薄い膜ができていくのを見つめて、僕は涙をこぼした。
 「すごいスクープをものしたことだって何度もある」ココアに砂糖を入れ、スプーンでかき混ぜがら、僕は何度もうなずいた。「アメリカの大統領と半日過ごしたこともあった。センセーショナルなインタビューさ。世界じゅうがインタビューを買った。半年間英国の諜報部員に化けて編集局の腐敗を暴いた。二重スパイも暴いた。遠い中立国でロシアの宇宙飛行士に会った……」
 僕が黙り込むと、運転手は気の毒そうに僕を見つめた。
 「それもこれも」僕はいった。「エリヤフ・ナグリスのせいだ」
 「エリヤフ・ナグリス?」たまげたように運転手がいった。
 「そう、そのとおりだ」
 「あんたとエリヤフ・ナグリスが何だっていうんだ?」
 「あいつにあったら、殺してやる」きっぱりいって、僕は拳を握りしめた。
 「そんないい方はないだろ」運転手がたしなめた。「まずいよ。なんで殺すんだよ」
 「理由は2つ」僕はいきりたった。「まず、ナグリス自身には生きようとする欲がない。つぎに、あいつは僕の人生をめちゃめちゃにした。煙草を1本くれないか?」
 「やりたいところだが、ちっと変に見えやしないか? つまり、その歳で……」
 「バカ」また、僕はいらついた。「いいから、くれよ」
 僕は煙草に火をつけた。煙を肺に送りこみ、あちこちから届いたアンファン・テリーブルへのキツイ視線を無視した。
 「わからんな」と運転手がいった。「前大臣のエリヤフ・ナグリスのことだろ? 大臣は……」
 「国家的英雄だ」僕はさえぎった。「国家的英雄どころじゃない。世界的な英雄だ。それどころか銀河系の英雄だ。そうさ」力を落として、僕はいった。「エリヤフ・ナグリスは核の破壊から全世界を救い、第3次世界大戦からわれわれを救い、全人類を救った。だが、僕の一生を滅ぼした。めちゃめちゃにした」

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不思議な子ども(神童) 中

不思議な子ども(神童) 中

オルリ・カステル=ブルーム

著者:

母袋夏生

翻訳:

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