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パイプ

1

 7年級(中学校に相当)に上がると精神分析医が来て、ぼくたちは一連の適性検査を受けさせられた。ちがう絵を20枚つぎつぎに見せられ、これらの絵でおかしいところは何ですか、と聞かれた。ぼくには全部まともに見えたが、精神分析医は最初に見た子どもの絵をまたしつこく見せ、「この絵のどこが変かな?」と、疲れた声で聞いた。絵はぜんぜん問題ないです、とぼくは答えた。分析医はマジいらついて、「この絵の子どもは耳がないのに気づかないのかな?」といい、たしかに、そういわれて絵をじっくり見ると、子どもには耳がない。それでも、絵は問題なさそうに見える。精神分析医はぼくを「重度の認知障害」に分類し、ぼくは大工の学校に送られた。その学校で、ぼくにはおが屑アレルギーがあるのがわかり、溶接クラスにまわされた。ぼくは器用に溶接をこなしたが、楽しくはなかった。ほんとのところ、特になにかに打ちこんで楽しむということがなかった。学校を終えてから、パイプ工場で働きだした。ぼくのボスは工科大学出の技師だった。輝かしい青年。耳のない子どもの絵とか、似たようなものを見せられたとしても、彼なら難なく片付けただろう。
 終業時刻になったあともぼくは工場に残り、曲がったパイプを使ってとぐろを巻いた蛇みたいに曲がりくねったやつを組み立てて、ビー玉を転がし入れてみた。くだらないって思われるだろうし、ぼくだって楽しんじゃいなかったが、それでもつくりつづけた。
 ある夜、やたら複雑にぐるぐる曲がりくねったパイプをつくって、ビー玉を転がし入れてみたら、反対側から出てこなかった。はじめのうちは中途でひっかかっているんだと思ったが、そのあと、ビー玉を20個ばかり入れてみて、単純明快、ビー玉は消えたとわかった。なにをほざいてる、ビー玉が消えるなんてあり得ない、と誰しもいうだろうが、パイプの片方の口から入れたビー玉が反対の口から出てこないのを見て、ぼくは変だなんて思わなかった。完璧にオーケーだと思った。そこで、このパイプと同じモデルの大型パイプを自分用に作って、中にもぐり込んで消えようと決心した。その考えが浮かんだときはやたらとうれしくて、声をあげて笑った、ぼくの人生で笑ったのは、あのときが初めてだったと思う。
 その日から、ぼくは巨大なパイプをつくりはじめた。毎晩、パイプをつくり、朝になるとパーツに分けて倉庫に隠した。組み立てが完成するまで20日かかり、最後の夜は5時間かけてパイプをつなぎ合わせていくと、作業場の半分を占める大きさになった。

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