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ラファエル

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©Dita Amiel

 ラファエルの死亡告知を新聞に見つけた次の日、ドイツで投函された彼からの手紙を受けとった。わたしはいま、長い年月にわたって切れ切れに彼から聞いた話を、書き記す義務を果たそうとしている。
 ラファエルに最初に会ったのは、1945年、ドイツのランツベルクの難民キャンプでだった。上背があって日焼けしたラファエルは、下あごが張りだして、男らしかった。皮ジャンに黒のブーツ。本物のパルチザンみたいだ、とたちまちわたしは、報われることのない恋に落ちた。わたしは14歳、彼は21歳だった。
 ラファエルは、わたしより年長の女たちにもてはやされていたが、なぜか、わたしを可愛がってくれた。わたしを「ティノック」と呼んだが、それはヘブライ語で「赤ちゃん」という意味だった。フランス語だと信じ込んでいたわたしは、その愛の言葉が大好きだった。ラファエルは、わたしの二番目の片想いだった。一番目は生まれ故郷のポーランドだ。
 自由になってからの数年は、みんなと同様、戦時中のことはほとんどなにも、どうやって助かったのかも口にしなかった。話題にしたのは、パレスチナでの未来についてとか本について、シオニズムやわれわれの関係について、だった。ぺちゃくちゃおしゃべりし、だが、つい最近にあったことを、冷静に口にすることはなかった。
 その後、イタリアやキプロス島の難民キャンプで、わたしはさまざまな愛を知った。そして、ついにパレスチナに辿りつき、嵐のような新しい日々がはじまった。わたしはあるキブツへ、ラファエルは別のキブツにいった。再会は何年かたって園芸セミナーでだった。ラファエルは相変わらず日焼けして美々しかったが、わたしにはもう、彼の男性的魅力に免疫ができていた。

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