樹木祭のあと

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 冬のはじめ、父が病に倒れ、何日も臥せっていた。父の寝室の扉はずっと閉まったままで、わたしたち家人は、父の安眠を妨げぬよう、家の中をつま先立ちで歩いていた。
 見舞い客が多く訪れたが、母は父の心臓の安静第一を理由に、彼らを家の中には招き入れなかった。一度、見知らぬ婦人が訪れ、母に毛糸のマフラーを手渡して言った。「奥さまは、わたしのことをご存じないでしょう。一度、高い熱が出て喉が腫れたので、おたくの先生に診察をしていただいたことがあります。先生は薬といっしょに、首を暖めるようにと、このマフラーをくださいました。冬の時期、病人は首を暖めなくてはいけないとおっしゃって。おかげさまで元気になりましたので、お返しに上がりました。治療代は今も手元になく、お借りしたままです。先生は、支払えるときでいいと、おっしゃってくださって」
 父は、こういう医者だった。母はいつも父に向かい、貧乏人からお金をとらないばかりか、自腹を切ってまで薬を与えるなんて、と怒っていた。「わたしたち家族は、どうやって暮らしていけばいいの? 施しを当てにした貧乏人が、こぞって来るじゃないの。あの人たちは、まったく抜け目がないんだから」
「神さまが、なんとかしてくださる」父は静かに答えるだけだった。「神を信じる者は、救われる」
 母が言うには、移民前に暮らしていた国でも、父は貧しい者たちの医者だったそうだ。金に困っているのを察すると、治療代はとらなかったという。
「おぼえているわ」と母が言った。「治療代の代わりに3匹の魚をもってきた漁師がいた。たまたま、わたしたちの婚約祝いの日で、訪ねてきた両親に、わたしはその魚を料理したの。親たちは、こんなに美味しい魚は初めてだって、たいそう喜んでくれた」
 わたしは大人になって、その国の小さな村を訪ね、父が医者をしていた地区にも足を延ばした。そこで老婦人に会い、その人が言った。「あなた、あの先生のお嬢さん? もちろん、先生をおぼえている。たしかに、40年以上も前のこと、もうそんなに過ぎてしまったのね・・・・だけど、おぼえている、忘れません。貧しい患者を無償で診てくれた先生を、忘れられるものですか・・・・」
 

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