砂漠の林檎

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 エルサレムのシャアレイ・ヘセドを出て広い砂地に着いて、運転手が「ネベ・ミドゥバル」と叫んでバック・ミラーに彼女の姿をさがしたとき、ヴィクトリア・アバルバネルは煮えたつような思いでこぶしを握りしめ、ひとつのことだけを考えていた。
 バス・ターミナルに入っては出るバスを4回も乗り換え、風にあおられては、安息日用のスカーフを何度も結びなおしたヴィクトリアは、茶色の紙にくるんだパンと芯の腐った林檎をあみ袋から取りだし、ユダヤ教の規定にのっとって旅の祈りにつづけて果物の祈りを捧げ、隣りの客にぶつかられるたびにむっとし、黄色味を帯びて平らになっていく景色に目をやりながら……心は、親に逆らって半年前に町を離れ、無宗教のキブツに行ってしまった娘のリフカに飛んでいた。リフカは男と同じ部屋に暮らして、男のベッドで眠り、妻みたいにふるまっている、と妹のサラから聞いたばかりだった。
  8時間の旅のあいだ、ヴィクトリアは頭のなかで、娘と面と向かったらどうふるまおう、どうふるまえば効果あるだろう、とあれこれ考えていた。
 娘の胸に辛抱づよく語りかけるべきなのかもしれない。わたしには含むところなんかないんだよ、って口調で、男の目に映る乙女の誇りに目を向けさせ、女には謙虚さってものが大事なんだって、女同士の話をしたほうがいいのかもしれない。
 それとも、大声で怒鳴ったほうがいいのだろうか。ちゃんとした家系に泥を塗るようなことをおまえがしたせいで、どんなにかなしい思いをしているかぶちまけて、近所の人たちが飛びだしてくるまで、哭き女みたいに喚いてみたらどうだろう。
 ずるい手だけれど、嘘の話をでっちあげて娘を連れだし、わたしの部屋に閉じこめて鍵をかけ、足跡を消してしまうっていうのは?
  あるいは、もううんざりだよ、っていうふうに、ヨセフ・アラルーフの娘のフローラは、男の後を追って処女をささげた挙げ句に捨てられて気が狂い、通りをうろついては小さい子たちの耳をひっぱっている、という話をしてみるのは?

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