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砂漠の林檎

8

© Noam Chen (エルサレム旧市街の城壁)

 帰り道、目にはまだ苛立ちをひそませながらも、ヴィクトリアの心はなごんでいた。足もとにかごを置いて、ドヴィがひざに載せてくれた石のように固い林檎が入った袋の口を、実が転がり落ちないように手で押さえた。娘のことばが浮かんだ。
「ね、うまくいってるってわかったでしょ」そう言って、娘は頬をなでてくれた。
「大丈夫ですから、母さん」と、ドヴィが言った。
 夫と妹のサラになんて話そう、とヴィクトリアはずっと考えていた。ふたりを並べて、見てきたことをぜんぶ話して、同じ思いを味わってもらうのがいいのかもしれない。バスがツォメット・アヒームを過ぎると、またヴィクトリアは考えこんだ。
 いままで男を知らずに過ごしてきた妹のサラには、なんて話せばいいんだろう? それに愛情のこもった手でわたしに触れたことさえない夫に、娘を見つめる若者のまなざしを、どうやってわからせられよう?
  遠くにエルサレムの山が見えてくると、ヴィクトリアの心は決まった。
 わたしの思いをすぐ見抜いてしまう妹のサラには、隠しだてはすまい。頭をくるんだスカーフをひっぱって、子どもの頃のように耳もとでささやこう。
「サリカ、わたしたちだって、自分で人生を切り拓いてきたじゃない。あんたはひとりで、わたしは結婚式を挙げて。それを、あの子はわたしに教えてくれたんだよ。滅相もないことだけど、あの子はちょっと知恵遅れじゃないかしらって気にしてたのを覚えてる? あの子のことが心配で、しょっちゅう泣いたもんだった。愛敬もなけりゃ見栄えもよくないし、賢くもなけりゃ才能もない。背だってバシャンのオグ王みたいにやたらとのっぽで。イェクティエルの息子に嫁がせたいって思ってたわね。あの人たちには、アバルバネルの娘は相応しくないみたいに情けまでかけられて。だけど、あの子をちゃんと見てごらんよ」
 そこで首をしゃんと伸ばして、悪魔に見入られないように、はっきりと強い口調で吐きだすのだ。
「まさに乳と蜜。それに、聡くもなって。いつも、笑っててねえ。そのうえきっと、神様のご加護で、もっといい目にあわせてもらえそうだよ」
 けっしてわたしの心に声をかけてくれなかった夫には、蜂蜜をかけた林檎を差しだそう。そして、腰に手をあててはっきり言おう。
「リフカのことは心配ありません。おかげさまで、あそこがあの子には向いてるんですよ。近いうちにいい知らせが届きますから。ところで、これを召しあがってくださいな。夏に花をつける林檎で、堆肥を入れた缶で育てると根が小さいんですって……。いままであなた、そんな話を聞いたことあります?」

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